ここは屋上だ。
何で俺がここにいるかって、それは、ヤブ医者に保健室を追い返されたからで。
「…じっとしててな」
ここは、屋上だ。
何で授業中なのにここに人がいるかって、それは、俺と同じ目的を持つヤツがいるからであって。
「…ぁん…っ」
しつこいようだがここは屋上だ。
何で女のあられもねぇ声が聞こえてくるのかって、それは、そういうことなのだろう。
普段ならこんな場面に出くわしたところで気にも止めなかったはずだ。
けれど声を辿って視線を寄越した先には、見たことあるようなないような女の背中、と、山本。
その山本は女の首筋に顔を埋めるようにして立っている。
俺は何故だかそれを凝視しちまって、ちょうど首筋から顔を上げた山本とピタリと目が合った。
鋭い視線、まるで獲物を狩るような。
全身がザワザワ粟立った。
自分の血液がドクドクと心臓を脈打っているのが容易に感じ取れる。
山本の浮かべた狂気じみた表情、に、ゾクリと身体が震えて、辺りを包む空気がピリピリと痺れていた。
女は快感の為か立っていられなくなってずるずると座り込みそうなのを支えられて、女を抱きとめている山本の方はその捕らえるような強い視線でじっと俺を見つめている。
恐怖とか不安とか焦燥感とかがゾクゾクと言いようのないきもちわるい感覚を伴って足元から這い上がってくる。
間抜けにも膝がガクガクと抜け落ちそうだ。
ヤバいヤバいヤバい、やばい…っ
頭ン中で何度も何度も警鐘が鳴り響く。
殺気、のような、けれどそれとは違う何かに射抜かれたみたいに思考回路が停止した。
はしる、はしる。
俺はいてはいけない場所にいた?
あの瞳は人間のものじゃないし、獣ほど野性的でもない。
あれは、何だ?
山本、は、何?
やっと戻ってきた思考能力も役には立たず、俺の頭ン中にはさっき見た光景とギラつく山本の瞳だけが永遠ループを繰り返してる。
はっ、はっ
一瞬でも恐怖に支配されてしまった自分への嫌悪感を拭い去るためなのか、ただあいつに恐怖してるだけなのか。足は止まらなかった。息はあがりっぱなしだ。
(10代目に報告しなければ)
(あいつはタダ者じゃない、危険です)
頭ん中にはそればっかりで、冷静な判断能力はもはや皆無。
やっと辿り着いた教室で慌てて10代目に駆け寄った。
慌てた様子の俺を見て少し驚いた表情でこちらを向かれる。
「何言ってるの、山本は普通だよ」
俺の焦りとは裏腹に、10代目の態度は本当にあっさりとしたものであった。
「山本が、彼女と…その、そういうことをしてただけじゃない」
そうなんです、ですけど、ね、10代目。
「けどあの瞳はヤバかったです、なんか、獲物狩るみてぇな」
「…うーん…それは、山本が興奮、してたから…じゃないの?」
「で…でも…」
そんな感じじゃなかった気がするんです。
俺がいつまでも食い下がっているせいで怒らせてしまったのかもしれない。
10代目は至極淡白な口調で、きっぱりと仰った。
「でも、じゃない」
「…っ…10代目ぇ…」
「…獄寺くん。山本と仲良く、ね?」
有無を言わせない10代目の口調に何も言えなくなってしまった。
そんな俺に10代目は優しく微笑んでくださって。
そんな風に仰られたら嫌でも仲良くするしかねーじゃないですか。
つーか、10代目には素晴らしい超直感というものがあるわけですもんね。
よくよく考えれば俺も、ただの一般人相手に何ビビってんだってわけで。
焦りすぎて判断が鈍ったのかも、山本ごときが特別なわけない。
(きっとあれは錯覚だったんだ)
俺がどうかしていた。
10代目のご友人なのだ、山本は。
10代目が選んだご友人が、危険なわけ、ないですよね?
*************
授業のチャイムが鳴り響くと、俺はまた屋上に向かった。
山本に会いに来たわけではない。
単にサボりたかっただけだった。
さっきの名残を微塵を見せず、山本はノンキな顔で俺の隣に腰を下ろしている。
しかし俺が煙草を取り出して細長いそれを唇に挟むと、いつもキレイなはずの山本の眉間にシワが寄った。
こいつでも顔を顰めることがあんのか、と新鮮に思う。
「獄寺、煙草はよくねぇって」
心底心配そう、というよりは、心底悔しそうな山本を横目で見やった。
俺が煙草、吸おうが吸うまいが関係はねぇはずだろ。
山本はそのままの表情で俺から煙草をひょいと奪うと、じっと顔を覗き込んでくる。
あまりにまじまじと見つめられるもんだから、俺も目のやり場に困ってしまった。
「獄寺、綺麗な目ぇしてるよな」
「…てめぇ、返せよ」
取り上げられた煙草を取り返す為にヤツを睨み付ける。
こんな風に瞳の色を珍しげに見られるのには慣れていた。
けど綺麗、だなんて、どこのプレイボーイが言う台詞だよ。
イタリアンかお前は。
「…髪も、すげぇ…」
山本の骨ばった、それでいてすらりと長い指が俺の耳を掠める。
そのまま髪に指を絡めて、
健康的な肌の褐色のせいで俺の髪の銀色が余計に際立って見えた。
山本の指がそのまま頬にまでゆっくりと滑ってくる。
視線は相変わらず俺の顔に真っ直ぐと向いてる。
「…肌も白ぇし、スベスベ」
「てめぇな…」
いい加減馴れ馴れしいし気持ちわりーんだよ、と口にしかけて言葉が途切れる。
山本はどことなく、うっとりしていた。
恍惚とはまた少し違う表情。
目の前に美味い(もしくは旨い)もんがあるかのような、さっき見た獣のような瞳ではなくて、目の前にある餌を見る仔犬のような、そんな瞳をしている。
「…俺、獄寺みたいな奴すげー好み」
ニカッとお得意の阿呆ヅラで笑ったのと同時、山本は馬鹿なことを口にした。
思考が停止する。
呆れて物も言えねぇ。
おかしな奴だ。
俺はこいつのことを警戒しなくて、本当に大丈夫なのだろうか。
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