周りの皆が馬鹿になるこの日に、僕は賢い嘘を付こう―。
■ ■■狡猾な嘘■■ ■
コホッ
ケホ、ゴホッ
咳をした。
口を覆った手の指の隙間から、真っ赤な液体がピチャリと滴る。
僕を見た兄さんはいるはずもない神に懺悔するような、悔いるような表情で青ざめていた。
「兄さん、嘘だよ。これケチャップ★」
ふざけた様に微笑んでみせると、兄さんから安堵の溜め息が漏れた。
「兄さんに心配してもらいたくてさ、エイプリルフールなんだし」
当たり障りのない言い訳をして兄さんの頬にキスをする。
こんな僕はもしかすると策士なのだろうか。
僕はハイデリヒさんの存在をちゃんと知っている。
こっちのグレイシアさんが僕を見て少し驚いた表情を見せたから、兄さんの同居人が僕そっくりだったということは簡単に推測できた。
兄さんが僕に彼の事をあまり話したがらない理由も、一人で墓参りに行く気持ちも。
全てわかっていた上でグレイシアさんに尋ねた。
―アルフォンス・ハイデリヒとは、どういう人だったのか。
彼女から彼の話を聞いて、その次に兄さんにあった時。
兄さんと目が合った時。
頭の中で何処かで聞いた事のあるような台詞が響いた。
―どうあがいても生きている者は死んだ者には勝てない―
兄さんの瞳にはいまだに彼の姿が映っているのだろうか。
まだ引き摺っているのだろうか。
確かめずにはいられなかった。だから―、
「縁起でもねぇ悪ふざけすんなよ、お前マジ最低」
冷たい瞳だった。
どこか軽蔑の念の込もった声で、不機嫌そうに口を曲げている。
あぁやはり、と思う。
まだ引き摺っているんだ。
慌てるだけじゃなく罵声を浴びせるくらいなのだから、兄さんの中では彼はいまだに色濃く存在しているのだろう。
悲しい気持ちに俯いてしまって、兄さんの表情は見えない。
すると、頭上から優しい声。
「嘘だよ、バーカ。俺がお前を嫌うわけないだろ」
驚いて顔を上げると、悪戯っぽく微笑む兄さんがいた。
予想外の事態に僕は言葉を発することができない。
兄さんには、冗談を生み出す程の余裕があって。
ニコニコ笑っていて。
「愛してるよ、アル。これは嘘じゃねぇから」
エイプリルフールに付いた嘘は賢く、賢い嘘を付いた僕はただの間抜けのようで。
可笑しくて、小さく笑った。
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06.04.01